ジル・ボルト・テイラー「脳卒中体験を語る」1/2
ジル・ボルト・テイラーは、脳科学者として願ってもない研究の機会を持ちました。自分が脳卒中を起こしたのです。広範囲に及ぶ脳卒中の発作によって、脳の機能 ―運動、言語、自己認識― が1つひとつ活動を停止していくのを観察しました。その驚くべき内容をお聞きください。2008年2月、TED2008。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B6%85%E6%A7%83
- 作者: ジル・ボルトテイラー,Jill Bolte Taylor,竹内薫
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2009/02
- メディア: ハードカバー
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博士は左脳の出血によって、通常の認識・知覚能力を失う。
目覚めて異変に気づいてから救急車が来るまでの間、徐々に知覚が異常を来たし、知的能力が失われていく。その際、神経学者である彼女が全く予期しなかった、宗教的ともいえる平穏な境地が通常の意識に置き換わっていく。
このとき、彼女は意識が宇宙規模で広がり、他人からのエネルギーを直接感じることができた。一般的な読者にとって最も興味深いのはこの部分だろう。安直なスピリチュアリティブーに陥ることを覚悟して、彼女は自分が感じたことを詳述する。アカデミシャンとしての立場を危うくするリスクをとったこと、相当の勇気を要したはずだ。
特に感動させられるのは左脳の機能が障害されることによる右脳優位の世界、それは時間も彼我の区別もない宇宙との一体感と幸福感に満ちた沈黙の世界である、の発見である。この体験を筆者はほとんど仏教の涅槃に似た体験として記している。右脳の機能は直感であり、全体的把握であり、現在である。一方で左脳の機能は分析と比較であり、時間感覚であり、言葉の世界である。
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2009/05/post-39ae.html
本書はいわゆる俗流の右脳礼賛本と読まれる危険性がある。左脳の分析的な思考が人間を孤独にし、右脳の情感が連帯をもたらすといった単純な読み方だ。確かにそう読める部分はあるが、テイラー博士は右脳の可能性についての文脈で述べているのであり、通常の脳機能が左右脳の統合によることは明記されている。テイラー博士は卒中を経験したとはいえ、脳学者の見識もあり同僚たちに支えられている。内容は確固たる科学性に裏付けられていると信頼してよい。
もう一つは、俗流のオカルト志向を正当化するように誤解されることだ。残念ながら、部分的に取り上げるならそう誤解されてしかたないだろう。だがこれもそうした断片をあげつらうのではなく、本書の全体から読み解くべきだ。
この手の話題を出すのなら、ベルクソンの「物質と記憶」および「創造的進化」を話の枕にするとよいと思います。
脳は、思考を生み出す機械か装置というより、生への専念の機関、知覚の遮断(フィルタリング)機構と考えるベルクソンの仮説に従ったほうが、物事がすんなり話を運べるように思うのです。
http://www.ted.com/talks/jill_bolte_taylor_s_powerful_stroke_of_insight.html
この後、救急車に乗せられたTaylor氏は、体内のエネルギーが自分から離れていき、精神が白旗を揚げるのを感じた。
「あの瞬間、もう私は自分の人生の振付師ではないと悟った」とTaylor氏は振り返る。同氏はその日の午後に目を覚まし、自分がまだ生きていることに驚いた。